2017年8月31日木曜日

経済発展の最も簡単な結末

RPG で終盤になるころには、お金があり余ります。 味方の装備が充実しているので店売りの高級武具を買う必要もないし、 長期の遠征を支えるポーション的なアイテムを数百個買っても、たいして財布も傷みません。

これが中盤位だと、現状の武装よりいいものが店で売られているし、 それらを買いそろえるお金は圧倒的に不足しています。 ポーション的なアイテムだって、調子に乗って大量購入したときには、 残金が思いのほか減ってしまい焦ります。 お金の使い道に複数の選択肢があり、誰の武装をどう強化するのか? 今は我慢して資金を温存しておくか? いっそ、アレを売却してしまおうか? などなど 悩ましいのです。

だから余計に、終盤のお金余りを見て 「開発者バカじゃないの?」と思うわけですね。 少なくとも、ゲーム内における要素の一つが機能しなくなって、実質死んでしまうわけです。 お金の運用を考えて悩んでいた中盤の方が、ゲームとして面白いわけです。 これに対して、ソシャゲで用いられている課金方式は…、などと話を広げると収拾がつかなくなるのでそちらに論点は移りませんよ。

お金の運用を考えて悩んでいた中盤の方が、ゲームとして面白い…けど終盤はダメ、お金の価値が無くなってしまう。 だから、ゲームなんてものは現実に即していないカスカスなんだよ! と、考える御仁もおられるかもしれません…。 しかし、私はちょっと、この「終盤にお金が余るの法則」が現実世界に対する優秀な比喩、的を得た皮肉だと思えてきたのです。

少し、視点を変えてみましょう。RPG で物を売っている商店主たちは裏でつながっていて、各所のショップでの売り上げは 商店ギルドが一括管理しているとします。 ゲームが始まってすぐ、主人公たちの持ち金はたいていが貧弱であり、また稼ぎも少ないので、 商品は低額のものが少しずつ売れるだけです。 しかし、主人公たちの成長に伴って稼ぎも増えますので(より強いモンスターと戦う=獲得金が増える)、 売れる商品の質・量ともに向上していきます。 ギルドは潤い、冒険者の成長に微笑みながら祝杯をあげます。 しかし、悪夢の終盤。 主人公たちの稼ぎは中盤より増えているにもかかわらず、商品は売れなくなってしまいます。 もはや装備を一流のものに取り替えてしまった彼らは、店で高級武具を買うこともないのです。

落胆したギルドは、悪魔の計画を発動します。
「あいつら、やっちまおうぜ」
商店ギルドの謀略によって窮地に立たされた主人公たちは、怪物によって殺されました。 彼らの装備していた、高級一流武具は、店に転売されたり、洞窟の宝箱に移転されたりしました。 これでまた、新しい冒険者が旅立つフラグがたちます。 装備が貧弱な新しい冒険者は、お金を稼いで装備やアイテムをバンバン買ってくれることでしょう。 やったね。

道路を、鉄道を、家を、工場を、ビルを、作らなくてはならない。 そういう状況であれば、仕事が大量に発生するわけで、雇用も大量に発生します。 仕事をするためには、建設用資材や機器、車両などが大量に必要ですし、それらの生産・輸送・販売にも人が必要です。仕事と雇用が大量に発生します。 大量の仕事は大量の稼ぎとなって、仕事終わりの食事やビール、娯楽産業などにも使われます。 彼らは成長してより稼ぐようになって、街は発展し、地価は上昇。 労働者も笑いが止まりませんが、ブルジョワジーはもっと笑いが止まりません。 道路を、鉄道を、家を、工場を、ビルを、作らなくてはならない。 橋を、ダムを、自動車を、鉄塔を、作らなくてはならない。 こういう状況は本当に素晴らしいです。 しかし、アレが…。「終盤にお金が余るの法則」が容赦なくやってくるのです。 都市部では家やビルがびっしりで、道路を作るスペースがないし、 田舎ではスーパー農道とかけっこう作っちゃったしなあ…。 飛行場だって、狭い日本の国内に作れるだけ作ったし…。 それでも、作れというのならナンボでも作る余地はあるよ、ハッキリ言って。 だが、費用対効果が得られそうもない公共事業は今の時代、厳しいんだよなあ…。 必要なものを作る。必要なものが存在する間はそれでいいよ。しかし、問題はできあがってからさ。その後どうしよう…。

オリンピックは救世主ですよ。 大義名分、神の御旗、…ご威光として十分、これで堂々と建設に勤しむことができるべ。


終盤のお金余りを見て 「開発者バカじゃないの?」と思うわけですね。と、書きましたが、 これを解決するとどうなるでしょうか? 別にできないわけじゃあ、ないんです。 店売りにバカ高い最強の武器を置けばいいんだし、MP回復薬を割高に設定して「10個も買えば破産する」バランスにするとか…。 しかし、それでも根本的な解決には至らないのです。 なぜかって? 魔王が倒された時点で世界に平和が訪れて、武器・弾薬・防具・補給資材といった戦争特需な物品の必要性が薄れるからです。 それなら、ゲームをクリアする前の終盤にお金を派手に余らせて、
「もうすぐ戦争は終わる。武器を買いまくって、経済的に困窮する日々も終わるのだ」と、いう予感の中でラスダンに突入するのがいいのです。 だってそうでしょう。ラスダン突入前にお金余らせているときって 「もう人間が用意できる武装では、オレたちを強化することはできない。 そうさ、今ここに至ってカネで解決できることは何一つないのだ。 世俗的な貨幣に頼る凡人としてのステージは終わりを告げた。 ここから先は人知を超えた者どおしの対決だ。 いくぜ、最終決戦!」 と、いうカタルシスにウットリ、シビれるぅ…、んでしょう?

経済の発展にはモノを作ったり売ったりすることが欠かせません。 モノを作るには売れる素地がなければなりません。 つまり、足りない、いきわたっていない…という状況。 しかし、作れば作るほど飽和に近づいて需要がなくなっていくのがこの世の常。 まだ昔はよかったんですよ。 自動車が馬に成り代わったとして、馬界(馬飼い)の失業者は出たかもしれませんが、自動車産業が巨大なものですから新規に圧倒的な雇用を生み出した。 ところが、今、スマホがデジカメやウォークマンやプレイステーションに取って代わったとして、デジカメを作っている人々を圧迫するのみです。 じゃあ次は自動運転モービルの誕生ですか? そうなったら、職業ドライバーの雇用がなくなるだけなんだよなあ…。 資本主義が成熟してきて、「終盤にお金が余るの法則」になりつつあるのかも…。