2017年9月30日土曜日

希望でJIMINを撃破せよ!

違うだろ! 「希望」とか「大望」っていらねーよ、 「天運」来いよ!
ってのはGAROの話ですが、
「希望」
という言葉が持つ意味、それを今回は考えてみたいと思います。

確かに日本には希望がない。 今でさえ、おじいちゃん・おばあちゃんが多いのに、これが、さらに進んでいくんですよ。 若者が減りーの、高齢者が増えーの、 相対的に労働者が減るものだから、気が付いたら有効求人倍率も増えていました。 別に景気がよくなったわけじゃありません。 会社なんか「若い子が来てくれんの? うそー、マジで!」みたいなノリですからね。 どうしてこうなった? 介護だって体力仕事だから、若くないとできませんよ。 だけど、若者がいないんだって…。

正直に言ってしまえば、これがこの国の絶望なのでしょうが、 少子高齢化が政治の責任だと思えない以上、何だかなあ…と、思います。 例えば、若者が多い国、パキスタンなんかだと30才未満のyoungマン&レディーが全体の6割を超えています。 逆に60才以上は1割未満しかいません。 まったくもって、別世界としか思えません。 しかも、人口が2億人近くいます。 こういう国の場合、希望がアルでしょう。 希望がなくとも、元気・熱気・やる気がみなぎっていることでしょう。

少子高齢化が政治の責任だと思えない。と、書きましたが 「保育園おちた。日本死ね」の例にもあるように、子育てしやすい環境を政治が支援することで、 幾ばくかの改善は可能であったとは思います。 そういう意味では政治や行政の責任は重いのかもしれません。 だけど、ある程度は…、という域を出ないと思うんです。 パキスタンとの人口比率を比べてください。 同じ世界の出来事とは思えません。 っていうか、地球の人口が増え続けているということは、若年世代が多いんですよね、ワールドワイドで考えると。 簡単に考えると、会社の人員を考えるとわかりやすいかと思います。 社員100人の会社が急成長して500人規模になりました。と、なれば大量に新卒を採ったんだろうな、っていう理屈と同じですからね。

ちなみに日本の人口が最大だったのは、2004年。 もう13年も前なんですね。 だけど、一方で我々は知っています。 生き物は増えすぎたら淘汰されるんだと。 人口が最大値を迎えた後、ゆるやかに減っていくことは必ずしも悲観することではありません。 人口をコントロールすることは、現代の人類にとって求められている要素でもあるのです。

ゆるやかな減少が100年も続けば、今度は反動でまた人口が増えることでしょう。 そのときまで、耐えるのです。 確かに今は夕暮れ時、黄昏の哀しみを私たちは受け入れなければならないのです。 この哀しみを希釈するためには、世界と融和するしかないのです。 移民の問題は世界で激しく議論されていますが、移民の受け入れはリスキーであるとともに、世界と融和する最適な方法なのかもしれません。 日本では移民? 何それ? という風潮ですが、アメリカやドイツを他人事のように見るってのは、ちょっとずれてやがるな…、と思うんです。 太平洋と日本海の間の狭い範囲でしか物事を語れないのであれば、そこに「希望」はやはりないのでしょう。