2013年10月30日水曜日

アキレスと亀 論破できません

パラドックスとして有名な「アキレスと亀」ですが、アキレスは亀に追いつけない、というのが主張です。 まず前提としてアキレスは亀よりも早いです、3倍速いでも50倍速いでも、そこは適切だと思う倍速を設定してあげてください。 そしてアキレスは亀よりも後ろからスタートします。亀も同時にスタートします。 当然、アキレスが亀を追い抜くはずですが…ところが! という話です。

アキレスが後ろで亀が前。 A地点にいるアキレスが亀のいるB-1地点に到達したとき、亀は少しだけ前へ進んでB-2地点に到達しています。 やっぱり、アキレスが後ろがで亀が前。 あとはこれをひたすら繰り返す。 アキレスと亀の距離が10mだったとしましょう。 アキレスが時速40kmで亀が時速1kmとします。 約0.9秒で亀のいるB-1地点に到達します。 亀は0.9秒の間に0.25m前進してB-2地点に到達します。 アキレスは0.0225秒で亀のいるB-2地点に到達します。 亀は0.0225秒の間に0.00625m(6.25mm)前進してB-3地点に到達します。 もうおわかりでしょう。 亀が B-n から B-(n+1) において前進する距離が 0 でない限り、たとえ100兆分の1mmであっても前進するのなら、アキレスは亀と 決して並ぶことができません。 並べないのだから、追いつけない、追い抜けない、うわぅ。

実はこれ、論破できません。 だって正しいもの。 ただし、試行を繰り返すほどに両者が前進する距離は小さくなっていき、やがてミジンコ級の微生物クラスとなり、さらに小さくなって赤血球とか白血球とかの細胞レベルまで小さくなり、さらに小さくなって分子・原子・電子レベルまでミクロになっていくことでしょう。 そして尺が小さくなるのと比例して時間の方も100万分の1秒とか、100兆分の1秒とか限りなく一瞬に近付いていきます。 最終的には時間が止まっているのと同様となるでしょう。

追記
つまり、こういうことなんです。 普通の解釈で「アキレスが亀を追い抜く」と語った場合、時間の指定はありません。 仮にアキレスがスタートしてから10秒後に追い抜くとします。 屁理屈の「アキレスが亀を追い抜けない」は、アキレスがスタートしてから9.9秒までの展開を示唆しているに過ぎません。 アキレスが亀を追い抜く、その後の世界は存在しないのです、発言者の概念として。 時間ループ物でアキレスが亀を追い抜こうとしたら、その瞬間、アキレスがスタートする前まで時間が戻る。 もうそんな繰り返しを何万回も繰り返していたギリシャ人。 毎回のように何も知らない青年が来て「アキレスが走り出したら、あの亀をすぐに抜いちゃいよね」と言う。 ギリシャ人はアキレスが亀を追い抜けないことを知っている、そう、何度も何度もリセット&ループを繰り返しているのだから。 ため息交じりに言う。「青年よ、アキレスは亀を追い抜けない、なぜなら…」 なぜなら…以下の理論はどうでもよかったのだ。 ただ、ギリシャ人にとってはアキレスが亀を追い抜けない、これが世界の掟だったからだ。 だが、しかし、87,665回目にやってきた青年はついに論破に成功する。 「距離と時間を微分していけば、限界に達したとき進展はなくなる。完全に静止しているのと同じだ。だが、どうでしょうか? 世界の時は決して止まらない、流れ続ける大河のように」ロジックが完成したそのとき、ついにアキレスが亀を追い抜くところをギリシャ人は見た。 長いこと長いこと「時の牢獄」に押し込められていた彼の人生が、今再び進むだす。

時間を止めてしまえば、追いつけるものも追いつけない。 そりゃそうだわ。 な、何を言っているのかわからないと思うが、古代ギリシャ人たちが編み出した哲学という名の思想の迷宮、 その奥深さの片鱗を垣間見た気がしたぜ。

0 件のコメント:

コメントを投稿